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音楽の話 [音楽]

どもども。もっちぃです。

今日はちょっと前からずっと考えていることを書いてみようと思っています。

湘南や横浜の音楽を聴き始めて3年くらい経つんだけど、
この方面で音楽を聴くようになってから、しばしば耳にするのが、
「あーゆーのは音楽じゃないよ」と言う言葉。

いろんな人から何度も聞いてきました。
「あーゆー」って言うのは、俗にメジャーのど真ん中の売れ線の音楽たちです。
3人組のよく踊る女の子たちの音楽とか、48人くらいで歌っている子達とかの辺りね。

それを聞いて、そうなのかも。と思った時期もあったり、
湘南方面で「音楽の正解」があるという方のお話を伺ってはそれはそうだと思うところもある。
「音楽の正解」って言うのはどこかにあるというのは私も感じているところ。

しかし、だからといって、「あーゆー音楽はダメ」っていうのはなんだかしっくりこなかったんだな。

好きな音楽嫌いな音楽はあったにしても、嫌いだからダメとも思わないし、
「そういう作り方だから」や「その子らが歌っているから」
「ダメ」なんてもっとありえないのではと。

それから月日は流れ、相変わらず神奈川の音楽を聴きに行ったり、
ラテンを聞いたり、ど真ん中の売れ線イケメン集団のコンサートを見たりCD買ったり。
と、幅広く色んな方向で音楽を聴いておりました。

そして、最近またも「あーゆー音楽はダメだよ、音楽じゃないな」と言う言葉を聴きました。

今回はもっとしっくり来ない。
だから、それはなんなのだろう。と考えてみた。

音楽って多種多様だと思うんですよ。
特に今やインターネット時代ゆえ、色んな国の音楽がすぐに聴けて、
とてもアングラなものや地域性の強いものなんかもどこに居ても聞けるという状況。
それぞれの好みに合った音楽を探し当てることが難しいことじゃない。

だから、それぞれの世界でそれぞれのリスナーがいるのは間違いないのです。

それぞれの人がその音楽を聴いて、心動けばそれはその人にとってかけがえのない音楽なんじゃないかしら。
例えば私はそれがりぶさんだし、テゴマスだし、KAT-TUNだし、NEWSだし、佐藤嘉風くんだし、大久保理くんだし、N.U.だし、はっとさんだし、うっぽんだし、書ききれないほどいるよ。
どれに優劣つけるなんてできません。

そらー、技術的な問題はあるよ。
それは個人の問題だから、その程度で??と言う場合もあるのはある。
だけど、それであっても、彼らが歌うことで誰かが救われたのならば、
それは充分存在意義があるんじゃないかな?

たぶん、「あーゆー音楽はダメ」といっている人も存在意義がないといっているわけじゃないとは思う。
でも、だったら、「ダメ」といわない方が良い気がするんだな。
「ダメ」の意味合いが違うということであっても、「ダメ」と言う言葉は救いようないくらい否定していると思うから。

とは言え、私も人を傷つけるような音楽は「ダメ」だと思う。それは論外。
だけど、誰かが救われているなら、それを「ダメ」ということはそれを支持する人も「ダメ」といっている事と同じなんじゃないかしら?なんて思ったりもする。

そういえば、「あんな音楽をいいといっている人間の感性は信じられない」とか、
「結局メディアに踊らされている」と言う風にいう方もいらしたっけね。
踊らされているかもしれないけど、48人くらいで歌っている子達の音楽って、
結構いいと思うんだけど(笑)なにせ、歌謡曲全盛時代に子供時代をすごし、
多感な時期におにゃんこクラブでしたから。
刷り込まれているAKYS魂(笑)
それが「ダメ」?????(笑) 

3人で歌い踊る子達の音楽も同じで、エフェクト掛けて声なんてどっか行っちゃっているけど、
それを聞いてやっぱりグッと来る人がいるのだから、あれだけ売れているわけでしょ?
支持されていても「ダメ」だというのだろうか?

言うんだよね。

それぞれの感性なんだから、そりゃ私が言うなというのはオカシイとは思います。
だけど、その「ダメ」を聞いて歌っている人以外の人が傷つくのだということは忘れないで欲しいな。


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